グランフォンドを楽しむ

2005年 G.F BARILLA参加記

6月早々イタリアに渡り、3日にパルマの町に到着しました。パルマは旧市街に石畳の道が残り、トラムのようなバスと自転車の多さが印象に残る町でした。

4日に受付を済ませ、スタート場所近くの公園で行われているフェスタを見て、明日行われるレースの雰囲気を感じながら試走に出かけました。

既にコースになる道路には、コース案内の矢印看板が取りつけられて、いよいよ心もG.Fモードに切り替わってきました。25キロほど走り、上り坂の手前で折り返しパルマに帰りました。

翌朝10時のスタートに9時頃ホテルを出発。天気は曇りで走りやすそうです。

スタート地点は既に多くの選手で賑わっていました。今回の大会には2600人余りが集まりました。スタートを待っていると目の前をバレリーニが通っていきました。ナショナルチームの監督ですが、今でも現役当時と変わらない体型を保ち、直ぐにわかりました。アナウンスでモゼールとシモーニも来ている事がわかりました。今回の有名選手はこの位だったようです。前回より選手もゲストも減っていました。

今回スタートから5キロはスピードコントロールが入るとの事で、ゆっくりパレード走行かと思いきや、スタート後いきなり50キロ近いスピードが一向に緩みませんでした。このままのスピードで5キロはあっという間に過ぎ、昨日走ったコースをかなりのスピードで大集団のまま進んでいきました。私より遅いスタート順の橋本君も追いついてきて声を掛けてくれました。がそのまま前へ上がっていきました。

45キロくらいに落ち着いた集団は緩いのぼりで40キロを切り、心地よいスピードになったと安心したら中切れを起こしていて、橋本君の集団は遠くに行ってしまっていました。

昨日引き返した地点を過ぎると本格的な上りです。既に集団は崩壊し、それぞれがマイペースで上っていきます。調子よく上っていくのですが、コースを良く知らないので34*21-23Tを頻繁に使いながら様子見で走っていました。が同じ位のスピードで女子選手が走っていましたので、かなり意識して遅れない様に頑張り始めました。これがあとで効いてくるのですが。

辺りの景色は渓谷と山(丘)が非常にきれいです。既に10キロ近く続いた上り、下りが恋しくなってきました。最初の補給所の手前で80キロコースへの分かれ道がありました。ほとんどが110キロと155キロ方面に走っていきます。私はちょっと心が動きましたが、予定通り155キロコースへ。

補給所でバナナと水をもらい、バナナはポケットに、水は飲み干してしまいました。曇っているので余り水分の補給を心配する必要はないようです。標高も800m位まで上がってきたので涼しいくらいでした。

やっと上りも終り下り始めますが、下りはみんな早い!踏まないで走っているとどんどん追い越されていきます。

程なく再び上り、だらだらと上っています。

200mくらい上ると再び下り。今度の下りは長く、再び多くのサイクリストに抜かれてしまいます。70キロ近く出しているのですが彼らは平気で抜いていきます。

下りきると110キロと155キロの別れでした。ここでもちょっと迷いますが、110キロに曲がる多くのサイクリストを確認し(件の女性サイクリストも)、155キロのG.Fコースに上り始めました。
まだ脚には余裕があるようです。

これからこのコースのチマ・コッピ(シラーラ峠)に上ります。だらだらとした上りを上っていると下ってくる人がいました。たぶん戻って110キロにコース変更するのかもしれません。このように自分の体調でコースを変更できるのはありがたいものです。

峠は国定公園に指定されているようですが、きれいな景色は少し道路から外れているようです。勾配が緩くなって峠の補給所が見えてきました。ここでは自転車を降り、ボトルに水とゲータレードを満タンにし、タルトを2個もらいバナナもポケットに入れ、5分ほど休んで下りに入りました。

少し涼しいくらいの気温ですが、生憎ウインドブレーカーは持ってきませんでした。でも、程なく下りも終わり、再び上りが始まります。このとき20人くらいの集団が出来ていました。一番後ろに下がり上り始めますが、突然足が攣り集団から遅れてしまいました。まだゴールまで70キロを残していましたので不安がよぎります。足が攣らないよう適当に負荷を掛け、ゆっくり上りをこなす内なんとか3人になり、スピードも30キロキープでこなし長い下りに入りました。

コーナーをいくつか抜けるとストレートの多い下りになり、スピードも70キロオーバーです。その内10人近い集団になりました。

橋を渡りまた上りです。今度は細い道路で車1台がやっと通る位です。私の後ろは救急車が走ります。又足が攣りそうになり、集団から遅れ始めました。救急車も私を抜いて集団の後ろに付きます。救急車がずーッと500m位前に見えます。が下りに入り救急車は追い抜いたのですが集団は見えなくなっていました。

一人で次の上りに入ると、コースマーシャルが最後の坂だぞと励ましてくれました。坂の勾配や長さを書いた看板があるのですが、余りに大雑把なので何キロくらいの坂か聞くと2キロくらいとの事。最後も結構な勾配で34*25Tで回していきます。半分も上ると数人が見えました。追いつこうと思うのですがなかなか追いつけず急な部分が終わり、緩くなると集団はスピードを上げ、結局追いつけず一人で走りつづけます。

微妙な上り下りを続けていくと最後の補給所があります。誰も止まっていないようです、私も通過。程なく急な坂が。2-300mでしょうか。カメラマンが頂上付近でカメラを構えています。この写真がたぶん後日送られてくるのでしょう。

すべてののぼりは終わり、あとはゴールのパルマまで下りと平地です。下りになって後から10人以上の集団が追いついてきました。集団に入る形で50キロオーバーのスピードで進んでいくとやがて私が前を引く事に。なるべくスピードを落とさないよう、町の道路にある自動車用のスピード減速のための凸を飛びながら走り、先頭交代と思い後を見ると集団は30mほど離れていました。ゆっくり走って良かったみたいです。まだイタリアの走りになれていないのですね。

集団を待ち、集団の後ろに付こうと思いますが、また脚が・・・。無理せず集団から離れ再び1人です。34キロ位でしばらく走っていると、再び別の集団が追いついてきました。後ろに付けとの合図にありがたく後ろに付きます。あと15キロほどでゴールなのです。道路がわからないので集団の最後尾ではしらせてもらいます。

42-3キロで進み、前の集団にも追いつき20人以上に膨れ上がった集団はいよいよゴールです。見慣れた橋を渡るとスタートした通りの道路です。橋本君夫妻に出迎えられやっとゴール。疲れました。

橋本君は私のゴールする30分以上前にゴール、さすがです。私の記録は、5時間39分47秒で442位でした。

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